2004年11月12日

会いたくないの。

秋になって新しいパンプスを履いてたら、
右足の小指の内側に、小さなウオノメが出来ました。

歩くたんびに痛いから小さな薬を貼りました。
目立たぬように、小さく小さく慎重に。

私はいつも貴方に会いたくて。
いつもいつも会いたい気持ちでいっぱいで。

だけど、ごめんね。
今日は貴方に、会いたくないな。

小さな小さな絆創膏を、
貴方に見つけられるのが恥ずかしい。

言わなければわからないこと?
・・だけど私は恥ずかしい。

もっと恥ずかしい私を、私は貴方に見せるのに、
こんな小さな絆創膏が、何故だか私は恥ずかしい。
posted by sizuku at 03:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 銀色の雫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マリアサマ。

貴女と私。

ようは、それぞれに毎日を精一杯生きてきて、
形は違うにせよ「辿り着いた場所」を言い表すのに、
選んだ言葉が違っただけなのかもしれないなぁ、とも思います。

人は生きてきた環境によってそれぞれに、
ひとつひとつの言葉に、思い入れや思い込みが生まれ、
自分の好きな言い回しというのも出てきますよね。

マリアサマのこの記事に私は、
ご自分のことを一生懸命に話してくださるマリアサマの
誠実な眼差しを感じ、(「宣言」の記事へのコメントにも書きましたが、)
本当に、心から「良かったですね。^^」という言葉しか出てきません。

 ――――――――――

さて、正直言って私は今、
世の中に溢れ返る「主従こそがSM」というような風潮・論調に
ただ違和感を感じているだけなのです。

決して「主従関係」そのものを否定してるわけでも、
ましてや、人様の幸せに水を注そうと思っているわけでもないので、
それだけは、マリアサマにも伝わるといいなぁと思います。

マリアサマの言葉をお借りすれば、私にはいまだに、
たくさんのラベルがペタペタと貼り付いています。
いろんな意味で「どこそこの誰」という私のラベルは、
仕事でもプライベートでも、いまだに日々、私についてまわっているのです。

「彼」と居るときだけ、私は、ただの私なんです。
どこの誰でもない、誰のものでもない、ただの私。

彼と繋がっていることで、私が感じる自由とはそういうことです。
彼だけが、私を、
すべての呪縛から解放してくれる、私にはそんな気がするのです。

だけどね。それは、私のマゾ性とかなり密接に関係があるとしても、
私のマゾ性の本質ではないと思っています。

 ――――――――――

実は私はこのブログで、自分のSM観について、
あまりあからさまに話すのは止めておこうと、ずっと思っていました。
私の心の奥深くにある感覚は、今、私自身の他には、
あるたった一人の存在だけが知っていてくれれば、それで充分だからです。

でもあえて今夜は・・。
そんな気分になってしまいましたので、少しお付き合いくださいね。

気持ちや身体を痛めつけられても、濡れてしまう。
ううん、むしろ、そうされるほうが興奮して、より感じる。
もしそれをマゾと言うなら、私はマゾなのかもしれません。

でもそれは、彼が居ても居なくても、私が本質的に持っている、
私自身の性質なんです。

「誰かの前でだけ、私はマゾ。」こんな言葉をときどき見かけますが・・
(そして私は、どなたにも、議論をふっかける気など毛頭ありませんが、)

「マゾは誰に対してもマゾ。」これが、あると言えば、私の唯一の持論です。

だからこそ、そんな人間は、誰か特定の存在に繋がっていられることに、
幸せを感じたり、安定を求めたり、安心感を感じるのだと思っています。

そこに居れば、こんな恥さらしな自分を、やたらに曝さずにすむから。
どうしようもなく強欲で、浅ましい自分をコントロールしてもらえるから。

私は、彼と出会って、
自分を委ねるということは、決して自分を捨てることじゃない、
ありのままの自分を丸ごと受け容れてもらうことなんだ・・と、
あらためて気づきました。

そういう相手に巡り逢えたとき、人がその大切な存在を、
「ご主人様」と呼ぼうが何と呼ぼうが、私に異論などあるはずがありません。

ただ初めから「さぁSMだ、じゃぁ主従だ」・・そんな、ある意味短絡的な、
「"ご主人様と奴隷"という構図でなければ、SMは成立しない」というような、
そんな語り口を多く目にするようにもなり、なんだろう・・
どうにもこうにも私自身は、違和感が込み上げてきてたまらないだけなのです。

 ――――――――――

私が「良かったですね。^^」と申し上げるのは、
マリアサマの「ご主人様」という呼び方そのものではないんです。

「宣言」の記事の、

>それを聞いたとき、私は「そう呼びたい自分」にハッキリと気がついてしまいました。^^;

そしてこの記事の、

>ラベルというカタチでしか自分の価値を見出せなかった私が、
>ラベルを通して自分を表現したいと思うようになったからかもしれません。

そんなマリアサマの、
ご自分の中のご自分にどんどん気づかれていく様子。

 ・・それがとても素敵だと思ったのです。
posted by sizuku at 02:40| Comment(6) | TrackBack(1) | パンドラの罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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