2005年01月29日

真白き骨

週明けに、大好きだった祖母が急に逝き、木曜日に最期のお別れをしてきました。

最期を看取った叔母が、棺に「百人一首」の本を納め・・

晩年、老人性痴呆症がかなり進行してしまった祖母は、日常会話さえままならず、
傍に夫が居ようが、実の息子や娘が居ようが、ましてや私たち孫が居ようが、
「それが誰なのか」の認識さえなかった様子でしたが、

不思議なことに、おそらく若い日に覚えたのであろう百人一首の一句一句だけは
忘れることなく、その最期の日も自宅で、叔母が読む「上の句」に「下の句」をつけ、
楽しんでいたのだそうです。

 契りきな かたみに袖をしぼりつつ
 末(すゑ)の松山 波越さじとは


 涙に袖を濡らしながら、互いに固い約束を交わしたはずでした。
 末の松山を決して波が超えないように、私たちも決して心変わりしないことを。

清少納言の父、清原元輔の詠んだこの悲しい恋歌がいちばん好きだった祖母に、
・・そこにどんな思いがあったのか・・
私はとうとうそのわけも、聞けず仕舞いになってしまいました。


おそらく本人にさえあまりに突然の死で、
叔母も生前に頼まれていたわけではなかったそうですが、
そんな祖母の旅立ちに叔母が持たせた「百人一首」の本が、
祖母の「生涯の一冊」になったのかもしれない・・。


実の子どもたちには相当に「厳しい母」だったらしいのですが、
私たち孫には、いつもただただ「優しい」祖母でした。

けれど今、その「優しさ」は決して「甘さ」ではなかったように感じています。

祖母は最期の最期にその生涯を以って、私に
「優しさ」と「甘さ」の違いを教えてくれたように思えてならないのです。

いよいよ最期というとき、私は祖母にさようならを言いませんでした。。
ひとこと「おばあちゃん。ありがとう、ね。」と、最期の頬に触れさせて貰いました。

かけがえのない人でした。


その生涯に流れた時間に対して、およそ1時間で灰でなってしまう呆気なさ。

けれど。
焼きあがった骨は、老人の骨とは思えないくらいしっかりとしていて真白く、
私には、祖母が逝ってなお、凛としているように思えました。

 ――――――――――――――――――――

黙々と歩き続けてぐったりとして・・ふと見上げると、

苦しいときも、辛いときも、悲しいときも、
月はかわらず私の上に、その冴えた光を湛え・・

 月が故に、私の流れゆく日常の細々に、
 わかりやすい慰めや、労いの言葉を投げかけてくれるわけではないけれど、

月はその光をもって「そこに在る」安心感を、確かに与え続けてくれていました。

・・この道。 私には、いつだって、私の見上げる月が在ります。
posted by sizuku at 04:19| Comment(4) | TrackBack(0) | 銀色の雫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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