2005年02月26日

変態なんだし。

SMについて、
あるいは自身のSM的な嗜好について、考え始めたのはいつ頃のことだったろう。

私が初めてそういうものに触れたのが、小学生の時でした。
初潮もまだ、SEXという言葉さえ知らず、そんなまだほんの子供だった私は、
あるとき、近所の公園の木陰に落ちていたグラビア雑誌を見つけました。

そこには柱に括り付けられ、複数の男性の好奇の目に晒されながら、
責めに耐える襦袢姿の女性が写っていて・・

いたいけな子供が、普通なら恐怖とか嫌悪を感じるのかもしれない。
だけど私の第一印象は「きれい・・」でした。

食い込む縄、キツそうな姿勢、男たちの容赦ない手。

そこからは女性の、唇を噛んで声をあげまいとして漏れる嗚咽と、
絶叫のような悲鳴が交互に聞こえてきそうな、そんな写真。

なんだろう。これは何なんだろう。
まだ何も知らなかった私が、次に思ったことは
「いいなぁ・・この女性(ひと)気持ちよさそうだ・・」

あんなに非道い写真だったのに。

私は彼女の苦悶と恍惚の、ちょうど狭間を彷徨っているかのような
「あの瞳」が何故かとても羨ましく、子供ながらにたまらなくなったのでした。


自分が実際にそんなオカシな感覚を持ってることを自覚したのは、もっと先の話です。
実際にSEXを覚えてから。
好きな人とSEXしてるのに、それはそれで幸せなのに、私はいつも物足りなくて。

ねぇ、縛って。ねぇ、叩いて。ねぇ、ねぇ、ねぇ・・そしたらもっと感じるのに。
きっと私はもっと気持ちがいいのに。


SM(行為)そのものが、愛だとか、信頼じゃない、と私が思うのは
(もちろんこれは私の感覚ですが)
つまり私自身が「そこ(行為)には」愛だとか、信頼を求めていないからだと思います。

 実際、打たれながらそこに愛を感じるほど、私には余裕がないし、
 何か非道いことをされているときに、私は「それでも耐える私」のような、
 ヒロイズムは感じていないのです。

だったら私はオツキサマに愛情や信頼を感じていないの?という話になったら、
そんなことはあるはずがなくて、私は彼が大好きだし、絶大の信頼を寄せていますが。
 
 もっと言えばそんな彼だから、私はいつもしたいんですが。


だけど。それとこれとは別なんだよなぁ・・。


私が「行為」そのものの中で欲しいのは、愛でも、信頼でもない。
私は、ただ相手の「激情」が欲しいだけなんです。

これでもかこれでもかと湧き上がってくる相手自身の激情を、それがどんな感情でも、
ただひたすら私にぶつけて欲しい。

私が欲しいのは、痛みでも、羞恥でもない。
ましてや「ご主人様に喜んで欲しい」なんて健気な感覚でもなくて、
ただ相手の激情。そして興奮。

 実際「彼」が喜んでくれれば、それは何より嬉しいんですが。
 だけどそれは、あくまでも、私のSMの本質ではない・・。



隠さないでいいのよ、隠さないで。貴方は変態なんだから。
 
もっと、もっと見せてよ。貴方の本性。そう、貴方がどんなに変態なのか。

・・大丈夫。私はそんな貴方を軽蔑したりしやしないから。

だって、私も変態なんだし・・。
posted by sizuku at 16:17| Comment(2) | TrackBack(1) | 銀色の雫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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