2005年03月27日

【飼い犬】

首輪


「俺の飼い犬にして欲しいか?」 唐突に男が言った。

街で男に声をかけられ、
被虐の快感に溺れるような性交渉を持つようになってから、
半年余りが過ぎていた。

ワタシはとっくに男の飼いモノだと思っていたが、
そうか、男はまだワタシを野良扱いしていたのか・・。

過去の男たちは皆、すぐにワタシに首輪をつけたがったが、
そういえばこの男はワタシに芸を教えても、鞭打っても、
首輪をつけてリードで引くことはなかった。

「俺に飼われたいか?」 男は重ねて聞いてきた。

なんと答えたらいいのかわからなかった。

「飼ってください」と口にすることには、もはや何の躊躇もなかったが、
それがかえってワタシには空々しく感じられて、
そんな言葉でいいのだろうか、と思わせたのに違いない。

「なら、明日から毎晩、俺の家まで来い。覚えてるだろ?」 男は続けた。

男の住むマンションは閑静な住宅街の中にあって、
一度だけ男の帰宅に伴って、タクシーでその前まで行ったことがあった。

「あの、上から三番目、いちばん右端が俺の部屋。」
降り際に男はそう教えてくれて、
ワタシはタクシーに乗ったままでその窓を見上げ、
それから15分程離れた自分の部屋に戻ったのだった。

「何時でも構わない。ただし欠かさず毎晩だ。
そして来る1時間前と、着いたら、必ず携帯にコールするように。」

男は何を目論んでいるのだろう。
・・そのときのワタシにはまだわかっていなかった。

そうして翌日からワタシの日課が始まった。

――――――――――――――――――――

「これから向かいます。」 「待ってるよ。」
初めて電話をしたとき、男は何の抑揚もない声で、そう言った。

「着きました。」 「よく来たね。」
ニ度目の電話も同じだった。

男のマンションの前は、小さな児童公園になっていた。
小さな街灯が灯る公園は、少し外れると薄暗く、
周りを取り囲む茂みの、真夜中の風は薄気味が悪かった。

「そこから俺の部屋がわかる?」
ワタシは前に教えられた窓を見上げた。
男の部屋の明かりが、二度、点いて消えた。

「ぁ。・・ええ、明かりが。」
「そうそう、そこ。オレからはオマエがよく見える。」
もう一度、明かりが点いて消えた。

「さて。じゃぁ、していいよ。」 「え?」

男のマンションはオートロックになっていて、
暗証番号がなければ入れない。

「していい、って・・何を?」 ワタシは聞き返した。

「眠る前にはオシッコだろ。」 男の声は冷めていた。

「ど・・どこで・・。」 ワタシには、ようやく男の目論見がわかった。

「お好きなところで。」 男は笑っているようだった。

見回すと、そこには格好の児童公園があった。
無言の受話器を握り締めたまま、ワタシは男の窓を見上げた。

男はあの暗い窓から、ワタシの一部始終を見下ろしているのだろう。

何分そうして居ただろう。いや、ほんの数秒かもしれなかった。
「それって・・」「えっと・・」「つまり・・」
ワタシが何を言っても、男からの返事はなかった。

ワタシはとうとう意を決して、辺りの様子を伺いながら茂みに蹲った。

着てくるものに迷ったけれど・・
こんなことならこんな明るい色のロングスカートを選ぶんじゃなかった。
ご丁寧に下着なんか着けてくるんじゃなかった。

出掛けに用は足してしてきていたし、
誰かに見られているのでは?という緊張感から、
ワタシには尿意など湧き上がってくるはずもなかった。

「・・出、ません・・。」

出ないで済むことでないことはわかっていながらも呟くと、
耳元で突然 「出せ。」 と、男の強い口調がした。

震える身体に絞るように力を込めると、"それ"より先に涙が零れた。

どのくらいの時間がかかっただろう。
ワタシはいつしかすすり泣くような声を出していて、
ようやくほんの僅か。

「・・出ました。」
やっとそう告げることが出来た瞬間、
ワタシはぐったりと地面に膝を着いてしまった。

「よく出来たね。」 「はい。」

「じゃぁ 帰って、ゆっくりおやすみ。」 「ぁぁ・・ はい。」

男の声は優しくなっていた。

――――――――――――――――――――

翌日から男は、ワタシのかける二度のコールには出なかった。

そして昼間、あるいは夜、共に過ごすことがあっても、
一度たりともその日課の話に触れることもなかった。

ただワタシが着いたことを知らせるコールをすると、
部屋の明かりが決まって二度、点いては消えた。

ワタシは律儀に日課をこなすと、帰って眠った。
雨の日も、風の日も。
どんなに深夜になってしまっても。生理の日も。

ある日いつものようにその場所に着くと、
ワタシの名前が書かれた小さな紙袋が無造作に置いてあって、
中に首輪が入っていた。

ワタシは嬉しくなって、急いでその首輪を嵌め、
男の部屋を見上げながら、半ばうとっりとして用を足したが、
その日から数日間、男の部屋の明かりは点滅しなかった。

――――――――――――――――――――

ときどきワタシは、男がそんな私の様子を
本当に見ているのかどうかわからない、と思う日がある。

でもたとえそんな日があっても、もはやワタシの日課には何の変わりもなくなった。

そしてワタシは、ようやくわかった気がする。
おそらく・・飼い犬とは、飼われるとは、こういうことなのだろう・・。
posted by sizuku at 05:06| Comment(7) | TrackBack(0) | 銀色の水鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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