2005年06月03日

手のかかる女

closedサマの記事を読みながら、私は初めて彼と逢ったときのことを思い出した。

それまでの長い長いやり取りの後、私はとうとう、
「どうか、お願いですから、逢ってください。」という気持ちになり、
彼にそう告げたんだっけ。

だけどそれを告げたとき、
逢ってすぐに、そういう関係を持てるかどうかは約束出来ないとも言った。

 それはもちろん「お互い様」のことだけど、
 逢った瞬間に「違う・・」と思うことも、当然あるだろうと思っていたから。

「"覚悟"はして行きます。・・けど今、それを"約束"は出来ない。」

彼は言った。「うん。それでいいよ。・・でも、その"覚悟"は、しておいで。」

 ――――――――――

繁華街の駅前で初めての待ち合わせ。

あのときの陽射しの加減と、空気の肌触り、街の喧騒、そして自分の緊張を、
私は今でもしっかりと覚えている。

逢うなり私は、挨拶もそこそこに一気に喋り立てた。
お天気のこと、洋服のこと、ネットの話題、その頃嵌っていたヨーグルトの話まで。
 話題は何でもよかった・・
初めて現実に彼と並んで歩きながら、
私は彼との間に出来る「間」が怖かったんだろう。

初めて逢ったのだから、どこか静かな場所、
2人きりでゆっくり話が出来る場所に連れて行ってくれるといいなぁ、と
漠然と思っていた気はするけど、

「どこに行くの?」「何をするの?」実はそんな打ち合わせも何もなく、
私はそのとき彼の足が、確実にもうどこかに向かって歩き始めていたことに、
まだ気づいてはいなかったようにも思う。

ただ私は彼に遅れまいと、喋り続けながらも必死について歩いていた。

「ただ、ついて行けばいい。・・彼にすべてを任せる。」 ・・今思えば・・

待ち合わせ場所で逢った瞬間。
彼と「目」が合った瞬間に、私の気持ちはもう決まっていたのかもしれない。


それまでに、どんなにか時間をかけてやり取りを続けてきたとはいえ、
実際には全くの初対面の挨拶から、ものの30分・・。

私は彼の前で震えながらも、命ぜられるままに、自ら服を脱いでいた。


その日の自分の日記にはこう書いてある。

>肝心なことは黙ったまま他愛もない雑談を続け、
>その人に促されるまま、私はその建物に入った。

>すんなり着いて行った私を、その人はどう思ったのだろう。

>それを私が、暗黙の了解にした瞬間の、その人の気持ちが知りたい。


・・不思議だった。ほんとうに。

そこには「肝心」と思える言葉は何ひとつなかった・・。

 ――――――――――

逢う直前に、私は彼に言った。
「私は相当に手がかかる女だと思います。・・それでもいいですか?」

「かけ甲斐があればいいよね。」・・彼はそう言って笑った。


果たして私は、ただその手を焼かせるだけじゃなく、
彼にとって、その「甲斐ある」女だったろうか。

 ――――――――――

あの初対面の日、私がしたのは「私の覚悟」だった。

ずっと私は、その自分の覚悟をこそ大事にし続けてきたけれど、
最近になってふと思う。

彼は今までにそんなこと、一言だって口にしないけれど・・

あの日・・彼もまた「彼の覚悟」をしてくれていたんじゃないだろうか。


そんな「彼の覚悟」に、私は精一杯応えたい。
posted by sizuku at 19:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 銀色の雫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鬱陶しい

私はときどき自分のことを「冷たいのかな。」と思う。

私が自分を冷たいかも。と思う理由は、ときどき、他人(ひと)に対して、
何の言葉もかけてあげられなくなるときがあるということだ。

例えば誰かが傷ついている、苦しんでいる、そんなときに、
その状況に、ぁぁ、傷ついているだな、苦しんでいるんだな、と
感じることは出来ているつもりだし、
何か言ってあげたい、出来るなら励ましてあげたい、慰めてあげたい、と
そんなふうにも思うのだけど・・

思うのだけど、そんなとき私には、言葉が、
かけてあげるべき言葉が、何も見つからなくなってしまうことがあるのだ。

誰かの話を聞いていて、その人が、
「ぁぁ、一生懸命、頑張ってるんだな。」と感じることがある。

そんなとき、いったい私は、どんな言葉をかけたらいいんだろう、
どんな言葉がかけてあげられるんだろう。


私は「頑張る」という言葉が、好きでもあり、嫌いでもある。

時と場合によっては「頑張れ」という言葉は、凶器にもなり得るらしいけど、
それを踏まえた上で私は、それでも
「本人が、頑張りたいなら、頑張ればいいよ。」と思うことが、よくある。

本人が本当に頑張りたいと思っているなら、
それが本人にとって、頑張リどころだと感じられている場面なら、
「そうだね。頑張れ。頑張って。」と、心の底から思ってしまう。

たぶんそれは・・私自身が過去に、
「頑張ることしか知らなかった」せいだと思うけど。

かつての私は、頑張ることしか考えられない頭に、心に、
たとえどんなに「頑張るな」「頑張らなくていい」と言われても、
「頑張らないということがどういうことなのか」自体がわからなくて、
余計に混乱してしまっただけだった。

そして私の場合は、
頑張って、頑張って、力尽きて、ふっと自然に力が抜けたとき、
そのときになって初めて、
「頑張らないということがどういうことなのか」が、わかった。
「頑張らなくていいよ」と、かけて貰った言葉の意味が理解出来た気がした。

だからそこまでは。そにに行き着くまでは、
たとえどんなに苦しくても、
頑張ることも大事なんじゃないかと思ってしまう・・。


もちろんこれは、私のケース。
誰にも彼にも当て嵌まるものではないかもしれないし、
こんな私の思い込みのようなものが、
もしかしたら「凶器」となってしまうのかもしれない。

それに、本人の「頑張る」「頑張りたい」という言葉が、
どこまで本気なのかも、私にはわかってあげられないだろうな、と思う。
そうは言っても、本心ではもう頑張りたくないのかもしれない・・。
・・だとしたら・・。

 ――――――――――

頑張っている人に、頑張れと言うべきか。
頑張らなくてもいいよ、と声をかけてあげるべきか。

せっかく頑張っているところに、
もうあとちょっとで何処かに辿り着けるかもしれないというときに、
私にはそのどちらの言葉も、無用な気がしてならない。

私なら・・
ようやく頑張り抜いた後に「よく頑張ったね。」と一言声をかけてあげたい。

もし仮に我が身のことだったら、そんな一言が何より嬉しいと思うから。


だけどな。

人によっては、苦しいときに声をかけられ、励まされることで、
新しいエネルギーが生まれたり、バランスが取れるということもあるんだろう。

そう思うとき「じゃあ、私にはいったいどんな言葉がかけてあげられる?」と
悩んで、悩んで、
結局、何の言葉も見つけることが出来ずに、口を噤んでしまう結果になると、
そのジレンマの中で、私にはいつも決まって同じ言葉が浮かんでくるのだ。

「これって冷たくない? ・・私って、冷たい人間なのかもね。」・・


たとえそれがどちらであれ、思いやりに満ちた態度で、優しい気持ちで、
自然と言葉をかけてあげることが出来る友人たちが、私には眩しくて、
少し羨ましい。

そして今は、こんな記事しか書けない自分が、言い訳がましくて鬱陶しい。
posted by sizuku at 01:25| Comment(10) | TrackBack(1) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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