2005年08月08日

被爆60年に思う。

つい先頃、TVの特集番組で、広島に投下された原爆を作った科学者と、
被爆者の方が対面し、対話しているのを見ました。

ある被爆者の男性が、
「あなた(個人)を責めるつもりはない。が、あの原爆の犠牲者に対しては、
 "申し訳なかった"と謝って欲しい。」とぶつけました。

科学者は答えました。
「私は謝らない。謝るなら、まずあなただろう。
 我々にはこんな言葉がある。・・"Remember, Pearl Harbor."」

吐き捨てるようにその言葉を口にしたときの、その科学者の表情を見た私は、
仮にそれが(私にとっては)到底理解し難い言い草であったとしても、
残念なことに、彼には彼の正義があったのだと、感じざるを得ませんでした。


被爆された方々の悲しみ、苦しみ、そして怒りは、
何年経っても何十年経っても、おそらく決して消え去ることはないでしょう。
過去を風化させない為に、彼らにはその声をもっともっと響かせて欲しい。

けれど今を生きる私たちは、ただ単にその声に同調し、
涙を流して立ち止まったままでもいけないのだと感じました。

直接被害を被ったわけではない私たち、
原爆どころか、戦争も知らない私たち、

そんな私たちこそが、被爆者の方々の心の痛みを少しでも思いやれると同時に、
単に「誰が悪かった」「何が悪かった」というだけではなく、
今現在の核の脅威を、他人事ではなく自分たちの問題として捉えられるなら、

今、私たちには、もっと冷静に、世界の未来の為に、
考えなければならないこと、取るべき姿勢があるのじゃないか。と、私は、
そんなふうに感じたのです。


「彼」の気持ちもわかりたい。
「彼」の気持ちもわかってあげたい。

人が、他人(ひと)の痛みを、完全に理解してあげることは不可能だとしても、
そう思って初めて、私はそこに、
今、私自身が考えなければならないことも見えてきたような気がします。

「そもそも人が人を傷つけたり、殺し合うことに、何の正義があるのだろう。」


原爆慰霊碑.jpg

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

 ・・私も今、強く、その「主語」の一人であろうと思います。
posted by sizuku at 10:53| Comment(8) | TrackBack(5) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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