2005年08月08日

被爆60年に思う。

つい先頃、TVの特集番組で、広島に投下された原爆を作った科学者と、
被爆者の方が対面し、対話しているのを見ました。

ある被爆者の男性が、
「あなた(個人)を責めるつもりはない。が、あの原爆の犠牲者に対しては、
 "申し訳なかった"と謝って欲しい。」とぶつけました。

科学者は答えました。
「私は謝らない。謝るなら、まずあなただろう。
 我々にはこんな言葉がある。・・"Remember, Pearl Harbor."」

吐き捨てるようにその言葉を口にしたときの、その科学者の表情を見た私は、
仮にそれが(私にとっては)到底理解し難い言い草であったとしても、
残念なことに、彼には彼の正義があったのだと、感じざるを得ませんでした。


被爆された方々の悲しみ、苦しみ、そして怒りは、
何年経っても何十年経っても、おそらく決して消え去ることはないでしょう。
過去を風化させない為に、彼らにはその声をもっともっと響かせて欲しい。

けれど今を生きる私たちは、ただ単にその声に同調し、
涙を流して立ち止まったままでもいけないのだと感じました。

直接被害を被ったわけではない私たち、
原爆どころか、戦争も知らない私たち、

そんな私たちこそが、被爆者の方々の心の痛みを少しでも思いやれると同時に、
単に「誰が悪かった」「何が悪かった」というだけではなく、
今現在の核の脅威を、他人事ではなく自分たちの問題として捉えられるなら、

今、私たちには、もっと冷静に、世界の未来の為に、
考えなければならないこと、取るべき姿勢があるのじゃないか。と、私は、
そんなふうに感じたのです。


「彼」の気持ちもわかりたい。
「彼」の気持ちもわかってあげたい。

人が、他人(ひと)の痛みを、完全に理解してあげることは不可能だとしても、
そう思って初めて、私はそこに、
今、私自身が考えなければならないことも見えてきたような気がします。

「そもそも人が人を傷つけたり、殺し合うことに、何の正義があるのだろう。」


原爆慰霊碑.jpg

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

 ・・私も今、強く、その「主語」の一人であろうと思います。
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2005年06月12日

文芸本3冊

ホテル・アイリス.jpg  緊縛.jpg  変態.gif

左から、読んだ順に
「ホテル・アイリス」 小川洋子
「緊縛」 小川内初枝
「変態」 藤本ひとみ

・・立て続けに3冊の文芸本を読みました。
3冊とも、いわゆる「その世界」がモチーフになっています。

どの作品にも、その作品ならではの魅力がありましたが、
(個々への感想ではなく)3冊を続けて読み終えた感想として、
私はそこに詭弁としてではない「人それぞれ」を感じました。

いずれの作品にも共通していたのは「それぞれの形」を越えて、
「それぞれの心のあるがまま」が繊細に描かれていたこと、でした。
 ―― 個の内外の、引かれ合う心と、反発する心。

そしてもうひとつ共通していたのは、
物語には必ず結末があるということ。でした。
 ―― 「性」の先に見えてくる「生」と「死」。

 ・・まぁ、たまにはこんな読み方も面白いかな。と。(笑)


特別オススメというわけでもありませんが、
もし興味を持たれた方がいらっしゃれば、是非。

参考までに、主人公の年齢が10代・30代・40代と設定されているので、
3冊とも読まれるつもりなら、偶然にも私の読んだ順が読み易いかも?です。

 ちなみに、繊細な感覚や心理描写を表現し得る語彙、筆致と、
 構成の妙が生む作品の奥行きという点で、
 私は藤本ひとみさんの「変態」に、いちばん引き込まれました。
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2005年06月03日

鬱陶しい

私はときどき自分のことを「冷たいのかな。」と思う。

私が自分を冷たいかも。と思う理由は、ときどき、他人(ひと)に対して、
何の言葉もかけてあげられなくなるときがあるということだ。

例えば誰かが傷ついている、苦しんでいる、そんなときに、
その状況に、ぁぁ、傷ついているだな、苦しんでいるんだな、と
感じることは出来ているつもりだし、
何か言ってあげたい、出来るなら励ましてあげたい、慰めてあげたい、と
そんなふうにも思うのだけど・・

思うのだけど、そんなとき私には、言葉が、
かけてあげるべき言葉が、何も見つからなくなってしまうことがあるのだ。

誰かの話を聞いていて、その人が、
「ぁぁ、一生懸命、頑張ってるんだな。」と感じることがある。

そんなとき、いったい私は、どんな言葉をかけたらいいんだろう、
どんな言葉がかけてあげられるんだろう。


私は「頑張る」という言葉が、好きでもあり、嫌いでもある。

時と場合によっては「頑張れ」という言葉は、凶器にもなり得るらしいけど、
それを踏まえた上で私は、それでも
「本人が、頑張りたいなら、頑張ればいいよ。」と思うことが、よくある。

本人が本当に頑張りたいと思っているなら、
それが本人にとって、頑張リどころだと感じられている場面なら、
「そうだね。頑張れ。頑張って。」と、心の底から思ってしまう。

たぶんそれは・・私自身が過去に、
「頑張ることしか知らなかった」せいだと思うけど。

かつての私は、頑張ることしか考えられない頭に、心に、
たとえどんなに「頑張るな」「頑張らなくていい」と言われても、
「頑張らないということがどういうことなのか」自体がわからなくて、
余計に混乱してしまっただけだった。

そして私の場合は、
頑張って、頑張って、力尽きて、ふっと自然に力が抜けたとき、
そのときになって初めて、
「頑張らないということがどういうことなのか」が、わかった。
「頑張らなくていいよ」と、かけて貰った言葉の意味が理解出来た気がした。

だからそこまでは。そにに行き着くまでは、
たとえどんなに苦しくても、
頑張ることも大事なんじゃないかと思ってしまう・・。


もちろんこれは、私のケース。
誰にも彼にも当て嵌まるものではないかもしれないし、
こんな私の思い込みのようなものが、
もしかしたら「凶器」となってしまうのかもしれない。

それに、本人の「頑張る」「頑張りたい」という言葉が、
どこまで本気なのかも、私にはわかってあげられないだろうな、と思う。
そうは言っても、本心ではもう頑張りたくないのかもしれない・・。
・・だとしたら・・。

 ――――――――――

頑張っている人に、頑張れと言うべきか。
頑張らなくてもいいよ、と声をかけてあげるべきか。

せっかく頑張っているところに、
もうあとちょっとで何処かに辿り着けるかもしれないというときに、
私にはそのどちらの言葉も、無用な気がしてならない。

私なら・・
ようやく頑張り抜いた後に「よく頑張ったね。」と一言声をかけてあげたい。

もし仮に我が身のことだったら、そんな一言が何より嬉しいと思うから。


だけどな。

人によっては、苦しいときに声をかけられ、励まされることで、
新しいエネルギーが生まれたり、バランスが取れるということもあるんだろう。

そう思うとき「じゃあ、私にはいったいどんな言葉がかけてあげられる?」と
悩んで、悩んで、
結局、何の言葉も見つけることが出来ずに、口を噤んでしまう結果になると、
そのジレンマの中で、私にはいつも決まって同じ言葉が浮かんでくるのだ。

「これって冷たくない? ・・私って、冷たい人間なのかもね。」・・


たとえそれがどちらであれ、思いやりに満ちた態度で、優しい気持ちで、
自然と言葉をかけてあげることが出来る友人たちが、私には眩しくて、
少し羨ましい。

そして今は、こんな記事しか書けない自分が、言い訳がましくて鬱陶しい。
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2005年05月20日

「汚れた舌」

―― 私の舌は、「ささやかな幸せ」にツバを吐く。

汚れた舌.jpg

ふだんドラマは、大抵ストーリーで見るんですが、
このドラマは毎週、ただただ藤竜也が見たくて見てます。(笑)

ドラマの中で彼は、金沢に住むバツイチ高名陶芸家という役どころ。

芸術家として、仕事には徹底的にシビアで、
あまり笑顔も見せないし、無口だけど芯があって、ものすごく存在感がある。

 なんてったって、渋いんだよなぁ・・
 大人の男の色気がムンムンしてる。(’’*)

私にとっては、あまり興味あるストーリーでもないし、
恋人役(主演)が飯島直子っていうところがちょっと・・(以下略。(笑)

■TBSドラマ 「汚れた舌」公式サイト


肌のすきま.jpg

そうそう、dorlisの歌う主題歌「肌のすきま」が、これまたイイ感じです。

 ♪愛してるの... 心、肌に その唇触れるたびに
 ♪嬉しくなる 胸が痛む ホントは

 ♪ウソついてる... 心、肌で この舌が動くたびにね
 ♪違う名前がからまりそうで キスでふさいで

■「肌のすきま」 試聴動画全曲歌詞
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2004年08月22日

「わたしは、またあなたと一緒に行っちゃうな。」

百合

今、たまたまふっとチャンネルを合わせたTVの映像で、
あの、イラクで亡くなった橋田信介さんの奥さんが、
亡きご主人宛に手紙を読んでいらっしゃいました。

その中にこんな感じの一節がありました。

「あなたの夢をみました。
 いつものように"ただいま"と、あなたがジャングルから帰ってきてくれました。
 
 あなたはいつもの、少し照れたような笑顔で、
 "僕がジャングルにいる間に、日本では僕が死んだと大変なことになっていたらしいね。
 恥ずかしいから隠れていたんだ。そしてこっそり帰ってきたよ。
 誰にも見つからないように、今度は2人でこっそり南の島へ逃げ出そう。"
 
 ・・ああ、これが正夢なら・・。
 わたしは、またあなたと一緒に行っちゃうな。・・
 
 あなたとの暮らしは大変だったけど、わたしは幸せでした。
 あなたと一緒で、わたしは本当に幸せでした。」

今日は、もし橋田さんが生きていらっしゃれば、62回目のお誕生日だったそうです。
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2004年08月08日

語り継ぐ意味

20代記者が受け継ぐ戦争
「鎮魂の夏2004」(東京新聞)

1. 死臭放つ娘抱いて
2. 『国のため』栄光と悲劇
3. せめて『生きた証しを』
4. 決死の気球 癒えぬ傷
5. 『生きて帰る』家族のため
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2004年06月07日

とてもデリケートな話題です。

あまり急いてコメントをあげるべきではないのかもしれない。
ただ。今の率直な感想を、自分自身の為に記録しておきます。

「<小6同級生殺害>女児がHPに詩 親失った子の感情表現」
・・「彼女の詩」が、全文掲載されていました。

私は常々「想像力」という言葉を使います。「Imagine」ですね。

相手の気持ちを推し測る、相手の立場になる、相手を思いやる・・
今隣に居る人の、隣の家の人の、2軒先の家の人の、隣町の、隣の都市の、隣の国の・・
「その人たちの気持ち」になって考えていけば、戦争さえなくせるかもしれないと。
誰にもそんな「想像力」が必要なのではないかと思っているわけです。

さて。では、事件を起こしてしまった少女には、想像力が欠如していたのか。

この詩を読む限り、特に最後の彼女自身のコメント、
「あと、私に親はいますので(汗) 架空の中の詩なんで(汗)」を見ると、
彼女にも「想像力」はあったのだろうなぁ・・と。

ただ。じゃぁ。

もしも彼女がどこかで間違いを犯してしまったのだとしたらそれは、
彼女がした想像の中の「ずるい」「恨めしい」「羨ましい」、
そんな言葉で表現された部分を、
彼女がそう「決め付け」てしまったのかもしれない、というところなのかも。

親を亡くした人たちが「悲しいんじゃないか」「寂しいんじゃないか」と
思い馳せてあげているのは、彼女の、とても気持ちの優しい部分だったのだと感じます。

でも「ずるい」「恨めしい」「羨ましい」・・
実際、親を亡くした人の誰もが、そんな感情を持っているかどうか。
もちろん持っている人も居るかもしれません。けど、持ってない人も大勢居るはず。
その部分。
そこを、もしかしたら彼女は間違えてしまったのではないかと、私は感じたのです。

「想像」は大事。だけどそれはあくまでも「想像」。

「私はこう想像する」けれども、
必ずしもそれが「正解ではない」ことも、私たちは忘れてはいけない。
「自分はこう考える」けれども、必ずしもそれは「相手も同じ」ではないかもしれない。

そんな「想像の質、深さ」もまた、とても大事なことの気がしました。

・・と。こんな私の「想像」も、もちろん彼女の真実ではないかもしれませんよね。

「ねぇこうでしょ?」「こう思ってるはず」
そんな決め付けや、押し付けも危険なのですね。(ぁぁ・・これ、自戒です。)

 ――――――――――
(余談ですが。)
小学校6年生と言えば、とりわけ感受性の豊かな時期でもあります。
そんなとき、誰がその子たちに真正面から向き合ってあげられるのか。
それも、私たち大人に課せられた課題だと思います。
posted by sizuku at 16:44| Comment(2) | TrackBack(1) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月06日

「戦争を知らない子供たち」

* ご注意(追記)
本記事中2ヶ所のリンク先は、開くとそのまま音楽が流れます。
音量にご留意ください。m(_ _)m

「Imagine」

>戦争が終わって 僕らは生まれた
>戦争を知らずに 僕らは育った
>おとなになって 歩きはじめる
>平和の歌を くちずさみながら
>僕らの名前を 覚えてほしい
>戦争を知らない 子供たちさ

ジローズという人たちが歌っていたらしいこの歌は、
私は発売当時、リアルタイムの記憶にはないのです。
でもこの歌は知ってます。
中学生の頃覚えたこの歌を、私は今でもそらで歌えます。

あるとき妹と話していて、私は愕然としました。
彼女とは8つ、歳が離れているのですが。
彼女はこの歌を、聴いたことさえない、と言ったのでした。

「戦争を知らない子供たち」を、知らない子供たち。

それはある意味、幸せなことなんでしょう。
だけど私には、それはどこか空恐ろしくもあった。

携帯電話を買い換えると、私が必ず最初にDLする着メロは
John Lennon 「Imagine」の、あの穏やかなメロディです。

>Imagine all the people Living life in peace
「すべての人が平和の中に生きてることを想像しよう」

悲惨な記憶も確実に語り継ぎ、一人一人が平和を祈り、願い続ける。

一人一人が意識して、
歌い継いでいかなければならない平和の歌もあると思うのですが。
posted by sizuku at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月03日

「(笑)」

文字だけで。言葉だけで。

他人とコミュニケーションを取る、ということ。
相手の表情どころか、そこは声色さえ窺えない世界。

人間の知恵だったのか、苦肉の策だったのか、
画面に生まれ、踊る「顔」のようなものたち。

その意味さえ、実は人毎に曖昧なのに。
同じであると勘違いしたり、頼りきってしまうと落ちる、落とし穴。

それは「顔」ではないんだよ。

 ――――――――――

文字しかないから。言葉しかないから。

限りなくその隙間を埋める努力が必要なのか。
細心の注意を払って、そこにわざと隙間を作る工夫が必要なのか。

子供の頃、私は誰かに教わった。
確か、行間を読み取れることは大事なことだったはずだ。

行間を読み取り、埋めようとした努力が、
いつしか人から想像力を奪い、行間を読み取れなくしたのか。

 ――――――――――

読むことは、考えること。
書くことは、考えること。

考えて、考えて、隙間を埋めて。
なのに隙間が埋まると、身動きが取れなくなって。

考えすぎると、読めなくなる。書けなくなる。

ただ読むこと、ただ書くことは自慰なのか。

人は「伝えること」を考えるべきなのか。

――――――――――――――――――――
■オンライン・ニュースから。
▼朝日.com
* 06/02 15:03 「ホームページへの書き込みでトラブルか 佐世保女児死亡」
* 06/02 20:20 「小学生に広がる"チャット" ルール教える学校も」
▼読売ON-LINE
* 2004/6/2/14:34 「交換日記がわりのチャット、小6女児死亡事件の背景に」
* 2004/6/2/14:32 「書き込みでトラブル?補導女児"殺すつもりだった"」
* 2004/6/3/00:19 「ネット利用"負"の側面に注意を…文科省が指導強化へ」

上の文章は、今回の事件で「あったのでは?」とされる
ネット上の書き込みや遣り取りそのものに対する、直接的な思いや感想ではありません。
今回のニュースを通して、私が日々つらつらと思っていることを書いてみました。
posted by sizuku at 10:31| Comment(2) | TrackBack(1) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月02日

大人に出来ること

今夜も、いつものようにネットを巡回。
殺伐としたニュースの多さに暗澹たる思いを抱えながら、ふと、
「もはやこの世に神はいない」・・こんな胸に迫るBLOG記事を見つけました。

まず最初に、決して「反論」ではないことを申し上げておきたいと思います。

発信者ゲロッグさんの文章を拝見して、きっと彼のお嬢さんは、
心優しく、笑顔のとても可愛いらしいお子さんにお育ちなのだろうな、と思いました。

>ボクは常々、娘に、何かを大切に思うこと。自分より弱いものへの慈しみの気持ち。
>強くある事。を教えてきた。いや、教えているつもりだ。

ここからは、あくまでも私の考え方、ですが。

私は「自分より弱いもの」が居るとは思わないようにしています。
何かの事象において、たまたま相手が自分より強く見えたり、
弱く見えたりすることはあるでしょう。
でも私は、それイコール、相手が自分より「強い・弱い」ではないと思っています。

「自分より強いもの・弱いもの」という見方は、うっかりすると、
「ならば自分は、相手より強いのか、弱いのか」という意識を生むように思うのです。
それが、ややもすると、人間の「傲慢さ」や「甘え」、
持たなくてもいい「劣等感」に繋がってしまうような気がして怖いのです。

人間、誰しも強く、弱い。

だからいつも「自分は強くあらねば」でなくともいいと思うのです。
誰もが、自分の強さも弱さも、相手の強さも弱さも、
全部ひっくるめて受け容られるようになれば、戦争さえなくせるかもしれない。

>人が死にすぎる。

>これからも悲痛な悲しみを抱えた人間が増えるのでしょう。

悲しいことですが、同感です。
大人が子供を守れない世の中に、涙が出ます。
私たち大人が、まず、
ちゃんと「他人の痛みがわかる人間」にならないと駄目なのでしょうね。

>そんな時代に、ボクは彼女に何をどう教えたらいいのでしょう。

当たり前に、こう考えられる大人が減ったのだと思います。
こんな真摯な大人の苦悩こそが、子供たちを守れると信じましょう。

ゲロッグさん、(事件そのものはとても悲しいものでしたが)
心に響く記事をありがとうございました。
posted by sizuku at 03:20| Comment(2) | TrackBack(2) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月29日

死ぬ価値

今朝の情報番組の中で知りました。

ジャーナリストである以上、戦争で死ぬのも仕方がない。
が、「この戦争に、死ぬ価値はあるのか。」

それこそが、橋田さんが取材をしながら、
いつも自問自答なさっていたテーマとのことでした。
posted by sizuku at 11:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どこで何を叫べばいいのか。

「ジャーナリストが天職みたいな。少なくとも夫と私は覚悟はいつも出来ているつもりでした。」
イラクで銃撃され、おそらく亡くなられたのではないかとみられている
フリージャーナリスト橋田信介さんの妻、幸子さんは28日、会見でこう語った。
・・「覚悟はいつも出来ている」これが文字通り「必死の思い」と言うことなのか。

「大マスコミ報道陣が消え、残るはフリー記者3人のみ 誰が自衛隊を監視するのか?」
― 日刊ゲンダイ4月28日号(27日発行)掲載の、橋田信介氏サマワ・リポート。  

早くも「自己責任」などと口にする人が出始めていて、
ジャーナリズムを考えるとき、私は「自己責任論」大いに結構だとは思います。
が、せめてその言葉を口にして論ずるなら、
その言葉の持つ意味を正確に捉えてからにして欲しい、と思うのです。

「橋田さんをイラク紙が紹介 失明少年の救援活動で」
「イラク人男児が沼津で治療へ 戦火で左目大けが 若者らが募金活動」

モハマド・ハイサム・サレハ君は、その左目に光を取り戻すことが叶うのかな。

「イラク戦争の真実」― おそらく永遠の幻となってしまった、講演予定。

(関連)
「解決を邪魔した小泉政権 "礼知らず"に怒り心頭」(橋田さんレポ)
「橋田信介著『イラクの中心で、バカとさけぶ』 死線さまようユーモア」
posted by sizuku at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月25日

そんな時間があってもね。

イラク国内の現状をありのままに伝える画像を目にする機会が増えました。
中にはもちろん正視するのが躊躇われるような画像もありますし、
1枚1枚見ていくのは、それなりの時間もかかります。

でも彼らにとっての「日常」が、どこか遠い国の話と思えてしまう私たちこそ、
日々それぞれに、せめて1時間、いえ、ほんの数分でも、
戦争とか平和、人の生命・尊厳について考える時間があってもいいと思うのです。

Iraq Gallery 1Iraq Gallery 2Iraq Gallery 3
Iraq War Casualties 1Iraq War Casualties 2
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2004年05月22日

「おかえりなさい。」

たった今、5人の子供たちが、日本に帰って来ましたね。

「初めてのこの国に、おかえりなさい。」

 この国が、あなたがたにとって、
 帰ることが出来て本当に良かったと、
 いつの日か、心から思える祖国となりますように。

 私の祖国日本が、そんな国で足り得ますように。

併せて、曽我ひとみさんという女性の強さに心から敬意を表し、
また残る不明ご家族の方々にもどうか吉報を。心からお祈り申し上げます。
posted by sizuku at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月19日

「怒る」と「叱る」

ニュース速報で、国語学者の金田一春彦氏の死去を知りました。

「金田一」と言えば、ふっと浮かぶのは父の金田一京助氏。
(私の好きな、横溝正史作品の金田一耕助の名前の由来となった人物。)
この京助氏の、アイヌ語研究と並んで、
春彦氏と言えば、方言研究の第一人者だったような。

あらためて、こんなインタビュー記事を読みました。

>言葉は個人の体験に根ざしている、
>連想するものの違いによってそう感じたりする、
>これが人間の気持ちなんだろうね、と。

「言霊」という言葉がありますが、
言葉は発する側と受ける側の、それぞれの感性があって初めて、
そこに魂が宿るのだなぁ、とあらためて気づかされました。

>孫が「怒られた」と言うと「叱られた」と言い直す。
>「叱るのは相手の悪い点を認めてそれを治すように言うことで、
>叱ることは必要なことで良いことなんです」と
>やさしいおじいちゃんの声になった。

最近、世の中には、むやみに「怒ってる」人が多いような。
「怒ってる」・・つまり「腹を立ててる」という感じなのかな。

ちゃんと相手に向き合い、自分をも省みて「叱る」とき、
そこにあるのは、きっと「愛情」ですよね。

「怒られた」記憶しかない子供は、自身が大人になってもまた
「怒る」ことしか出来ないんじゃないかな。

大人がむやみに、子供に怒っちゃ駄目なんです。

叱られた子供が、ちゃんと「愛情」を受け止められるような叱り方。

相手を見、自分を見。

 私は「怒られる」のは嫌いです。
 でも「叱られる」のは好き。(笑)

金田一春彦氏のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
posted by sizuku at 16:02| Comment(6) | TrackBack(2) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月16日

さもありなん?

ここ数日、新しい作業(BLOG作り)に挑んでいたので、
BLOG関連以外のネット巡回がオロソカになってました。(笑)

で。今日になってあらためて
「"男児出産まで外遊反対" 皇太子妃で英紙」なる記事を発見。

「外国訪問がなかなか許されず、キャリアや人格を否定する動きがあった」との
皇太子サマのオコトバと、その後の関係者の会見だけはさすがに知っていましたが。

疑問だったんですよね。「人格の否定」って何だろう、って。
 漠然と、愛子サマが生まれるまでのことを仰ってるのかなぁ?・・と。

記事を読んで。
「あ?・・はい?・・はぁぁ?・・ふむぅ・・まぁ、なんと。なんと。」
・・私は、心底、呆れちまいました。なんだか、考え方が古臭すぎ。

もちろん、皇室に嫁ぐってことには「皇位継承」問題の責務もあるんでしょう。
でも「宮内庁は世継ぎの男児出産までは外遊に反対だとみられている」だなんて、
これぞまさに人格否定だ・・。と思った。
 まぁこれは、あくまでの外国紙の推測ですから、事実かどうかは存じませんが。

ただそう感じると同時に「さもありなん」とも思ってしまった私は、
(この記事に、妙な説得力を感じてしまった私は、)
「悲しいくらいに日本国民」気質なのかもしれないな。とも、思った次第でございます。

 うー。なんだか我ながら、とても情けない気分。
posted by sizuku at 04:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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