2005年05月06日

堕ちていく世界

ひさびさに、SMの世界を描いたDVDを観ました。
杉本彩主演、5月14日劇場公開予定の「花と蛇 2」のメイキングです。

なんかね。
まぁ・・もちろん、観る人にも依ると思うんですが、
この映画、私はなかなか面白そうだなぁと思いました。

単にストーリーが、ということじゃないです。
それから部分部分のSMシーンが、ということでもないです。

全体の流れの中にある、石井隆という監督のSM観のようなもの、
それから主役を演じる、杉本彩という女優が表現しようとしたもの、

 ・・そんなものにとても興味が湧きました。


私・・たぶん、
ごく個人的には、SMの神髄って「縛り」だと思ってるんですね。

この映画では、それがものすごく豊かに表現されていて・・
(って、ちょっと変な感覚かもしれませんが。(笑)
そんなのも、私をそそる要因のひとつなのかもしれないなぁと思いました。


やっぱりSMって残酷な世界のような気がします。

 残酷なまでの優しさ、残酷なまでの欲望、残酷なまでの官能。

私なんかは甘ちゃんだから、
そんな中にもせめて何がしかの美しさを求めようとしてしまうけど、

やっぱりね、それはきっとどす黒い、キレイゴトではない世界。

 
自分というものに、否が応でも向き合わされながら、
「堕ちていく」世界なんだと思います。

――――――――――
■映画「花と蛇 2 パリ/静子」公式サイト(R-18)
posted by sizuku at 03:15| Comment(0) | TrackBack(1) | パンドラの罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月12日

マリアサマ。

貴女と私。

ようは、それぞれに毎日を精一杯生きてきて、
形は違うにせよ「辿り着いた場所」を言い表すのに、
選んだ言葉が違っただけなのかもしれないなぁ、とも思います。

人は生きてきた環境によってそれぞれに、
ひとつひとつの言葉に、思い入れや思い込みが生まれ、
自分の好きな言い回しというのも出てきますよね。

マリアサマのこの記事に私は、
ご自分のことを一生懸命に話してくださるマリアサマの
誠実な眼差しを感じ、(「宣言」の記事へのコメントにも書きましたが、)
本当に、心から「良かったですね。^^」という言葉しか出てきません。

 ――――――――――

さて、正直言って私は今、
世の中に溢れ返る「主従こそがSM」というような風潮・論調に
ただ違和感を感じているだけなのです。

決して「主従関係」そのものを否定してるわけでも、
ましてや、人様の幸せに水を注そうと思っているわけでもないので、
それだけは、マリアサマにも伝わるといいなぁと思います。

マリアサマの言葉をお借りすれば、私にはいまだに、
たくさんのラベルがペタペタと貼り付いています。
いろんな意味で「どこそこの誰」という私のラベルは、
仕事でもプライベートでも、いまだに日々、私についてまわっているのです。

「彼」と居るときだけ、私は、ただの私なんです。
どこの誰でもない、誰のものでもない、ただの私。

彼と繋がっていることで、私が感じる自由とはそういうことです。
彼だけが、私を、
すべての呪縛から解放してくれる、私にはそんな気がするのです。

だけどね。それは、私のマゾ性とかなり密接に関係があるとしても、
私のマゾ性の本質ではないと思っています。

 ――――――――――

実は私はこのブログで、自分のSM観について、
あまりあからさまに話すのは止めておこうと、ずっと思っていました。
私の心の奥深くにある感覚は、今、私自身の他には、
あるたった一人の存在だけが知っていてくれれば、それで充分だからです。

でもあえて今夜は・・。
そんな気分になってしまいましたので、少しお付き合いくださいね。

気持ちや身体を痛めつけられても、濡れてしまう。
ううん、むしろ、そうされるほうが興奮して、より感じる。
もしそれをマゾと言うなら、私はマゾなのかもしれません。

でもそれは、彼が居ても居なくても、私が本質的に持っている、
私自身の性質なんです。

「誰かの前でだけ、私はマゾ。」こんな言葉をときどき見かけますが・・
(そして私は、どなたにも、議論をふっかける気など毛頭ありませんが、)

「マゾは誰に対してもマゾ。」これが、あると言えば、私の唯一の持論です。

だからこそ、そんな人間は、誰か特定の存在に繋がっていられることに、
幸せを感じたり、安定を求めたり、安心感を感じるのだと思っています。

そこに居れば、こんな恥さらしな自分を、やたらに曝さずにすむから。
どうしようもなく強欲で、浅ましい自分をコントロールしてもらえるから。

私は、彼と出会って、
自分を委ねるということは、決して自分を捨てることじゃない、
ありのままの自分を丸ごと受け容れてもらうことなんだ・・と、
あらためて気づきました。

そういう相手に巡り逢えたとき、人がその大切な存在を、
「ご主人様」と呼ぼうが何と呼ぼうが、私に異論などあるはずがありません。

ただ初めから「さぁSMだ、じゃぁ主従だ」・・そんな、ある意味短絡的な、
「"ご主人様と奴隷"という構図でなければ、SMは成立しない」というような、
そんな語り口を多く目にするようにもなり、なんだろう・・
どうにもこうにも私自身は、違和感が込み上げてきてたまらないだけなのです。

 ――――――――――

私が「良かったですね。^^」と申し上げるのは、
マリアサマの「ご主人様」という呼び方そのものではないんです。

「宣言」の記事の、

>それを聞いたとき、私は「そう呼びたい自分」にハッキリと気がついてしまいました。^^;

そしてこの記事の、

>ラベルというカタチでしか自分の価値を見出せなかった私が、
>ラベルを通して自分を表現したいと思うようになったからかもしれません。

そんなマリアサマの、
ご自分の中のご自分にどんどん気づかれていく様子。

 ・・それがとても素敵だと思ったのです。
posted by sizuku at 02:40| Comment(6) | TrackBack(1) | パンドラの罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月21日

「SMは信頼」?

前記事『これは「SM」の話ではありません。』には
たくさんのコメント/TB ありがとうございました。

今夜ようやく、一通りのコメントをお返し出来たと思うので、
その間つらつらと考えていたことを、書き留めておこうと思います。


私が元記事で言いたかったのは、
「何でもかんでもSMに帰結させないで。」ということでした。

拙すぎる文章で、みなさまを混乱させてしまったのかもしれませんが、
私はあの記事で「誰が悪い」ということが言いたかったのではないのです。
(あえて仮に「悪い」とするなら、私は「どちらも」だと思っています。)

SMって何でしょう。
主従って何でしょう。

それはそれぞれの人の気持ちの中にだけ、答えがあるのではないですか。
 Sはこうあるべき。Mはこうあるべき。
そんな括りこそが、私は危険だと思うのです。


「私はこんなサディストです。」「私はこんなマゾヒストです。」
人によって、それは様々なのは当たり前。
どんなSさんでも、どんなMさんでも、別に構わないじゃないですか。

ただ誰かと繋がろうとするとき、
その相手が、自分と合うか合わないかだけが、大事なのではないですか。


「自分と合うか、合わないか。」
・・矛盾するようですが、
その部分こそがつまり、私は、すでにSM以前の話だと思うのです。

Sだ、Mだ、ではなくて、
ただ単に「人と人として」信頼し合い、繋がることが出来るかどうか。


Sだ、Mだと言いますが、私はそんなのはただの性的嗜好だと思っています。
誤解を恐れずに言えば、私は本来「SMは信頼」なんかじゃないと思っています。

「信頼」なんていうのは、それ以前の問題。「人」対「人」の問題です。

SとMとの関係なんて、ただの加虐性癖者と、被虐性癖者の交わりです。
お互いにそれで気持ちがイイから、くっついているだけ。
だから、怖いんです。歯止めが効かなくなって、暴走をしてしまったときが。

だからこそ、まず「人と人としての信頼」が必要不可欠なのではないですか。


今回、たくさんの方のコメントや記事を拝見して、やはり
「SMは信頼」という言葉を多く見かけました。

その言葉に、当たり前の嬉しさと、
同時に、言葉だけが一人歩きしていく不安を感じたのは、私だけでしょうか。
posted by sizuku at 04:37| Comment(13) | TrackBack(0) | パンドラの罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月12日

これは「SM」の話ではありません。

以前はかなり頻繁に覗いていたのですが、
時間がなくなってから、日々の巡回ルートから外していた日記ページがあります。

この日記ページ、BLOGが流行り出す前から、そのサイトに集まる方の中で希望する方が
スペースを借りてご自分の「日記」を公開されている場所なんですね。
書いていらっしゃるのは、いわゆる「M女さん」が殆ど。
取り立てて「M女さんのサイト」に、興味があるわけでもない私ですが、
何故か、そこの日記たちには惹かれるものがありました。

昨夜、少し時間があったものですからひさしぶりにふらりと覗きに行ったのですが・・。
そこで私は、女として、とても衝撃的な日記を見てしまったのです。

自分のBLOGの記事にすべきか、否か。
リンクを張るべきか。
勝手に引用、あるいは転載していいものかどうか。
・・悩みました。考えました。・・正直、今も迷っています。

でも。やはり触れておきたい。
私という人間として、一人の女として、触れずにはいられない。

ので。・・記事にすることにしました。
もしもこれがBLOGであれば、きっと私はTBさせて頂くのだろうなとも思ったので。

ただし、今回は引用に留め、あえてリンクは張らないことと致します。
この日記を書かれた方のお気持ちを考えると、私にはそれが適当ではないと思われるからです。

私のこの記事をお読みになる方には、どうか、
日記の書き手の方への直接のご感想とか、ご意見という視点ではなく、
一人の男として、女として、ご自身の問題として、何かをお考え頂ければと思います。

(某公開日記の転載)――――――――――――――――――――

「SMと避妊・・・」

 今月は生理が1週間遅れた。

 前回ちょうど逢えるとき、排卵期だったから、気をつけて欲しくて、
 お願いはしておいたけど、無駄だった。
 主は言う。
 ”SMはセックスじゃないから、ゴムなどつけない。避妊もしない。”と。
 わからないような、わかるような、でも、嫌われたくなくて、
 ただ、基礎体温だけを見て、怯えてはほっとする日々の繰り返し。
 高温期が14日すぎ、16日すぎ、焦りは増すばかりで、必死に下剤を飲み、
 激しい運動をし、・・・やっと訪れた印・・・。
 これで二度目のこと・・・。

 もし、出来たとしても、生めるはずもなく、
 家族にも悟られないよう一人で処理するしかない命。
 ふと、”本当に私のことを大切にしてくれてはいないのではないだろうか?”と
 思ってしまった・・・。
 今までの奴隷には、
 ピルを飲ませるか、避妊手術を受けさせてきたというあの人・・・。
 Sの人って、みんなそうなのかな・・・。
 Mの側が、ピル飲んだり、避妊手術したり、
 自分の身を自分で守らないといけないのかな・・・。

 家庭がある。
 生きていくために、捨てられない、自分の社会生活を送らねばならない家庭。
 いつもゴムをつけてくれとは言わないけれど、
 Sは好きなようにやって、あとはどうでも知らないでいいのかな・・・。
 
 生理が遅れていることが不安で、メールをした。
 何も帰ってこない返事。
 今までの、全てが、なかったかのような、錯覚だったような暗い闇の中で返事を待つ。
 なにもかもがわからなくなってしまった。
 私が望んでいることは、わがままなのかな・・・。
 Mとして、失格なんだろうか・・・。
 わからなくて・・・。苦しい・・・。

――――――――――――――――――――――――――――――
男と女の性交渉で、妊娠を望まないのであれば、避妊するのは当然でしょう。
それは、男だけの責任でも、女だけの責任でもないはずです。

Sだから? Mだから?・・そんな議論は、ちゃんちゃらおかしい。

「SMはセックスじゃないから、ゴムなどつけない。避妊もしない。」
・・だったら、挿入するなよ、と思う。

「でも、嫌われたくなくて・・」という女心が痛すぎる。

だけどこれは「SM」とは何の関係もない話だと思います。

一人の人間として、人の生命をどう考えるか。それだけのことでしょう?
生命の重さを考える。・・これは人間の尊厳の問題なんです。

よく男性は、その手に子供を抱くまではその生命の実感を持たない、と聞きます。
でも女は違う。女は、
それがまだ、男性にしたら、単なる細胞分裂にしか思えない段階でも、
自分の身体に変化があれば、確実にそこに生命を感じるんです。

生命。それは崇高で、この世で最も尊重されるべきもの。

たとえ、どんなに用心していたって失敗は起こり得る。
あるいは、あり得ないと思っていたことだって、起こり得る可能性はあるんです。
 それこそが、生命というもの正体なのかもしれない・・。

 そうなってしまってから気づくのでは遅すぎるんです。
 きっと悔やんでも悔やみきれない・・。

そこに半端なヒロイズムなど、何の価値もないんです。


私は昨日気づきましたが、この日記が書かれていたのは、7月の日付でした。
その日を最後に、この日記の更新は止まっています。


最後にもう一度。
・・これは絶対に「SM」の話ではありません。

「SM」流行りの昨今、ご自身のSM観、S論、M論、大いに結構だと思いますが、
(この話題に限らず)何でもかんでも「SM」で括り、
「Sだから」「Mだから」で、納得しよう、させようと勘違いしてる方は、
どうか考えを改めてください。
posted by sizuku at 18:48| Comment(33) | TrackBack(21) | パンドラの罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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