2005年08月15日

その日、手にしたはずの「平和」を思う日に。

谷川俊太郎の詩(1968年)を、2編。

兵士の告白

殺スノナラ
名前ヲ知ッテカラ殺シタカッタ
殺スノナラ
一対一デ殺シタカッタ
殺スノナラ
機関銃ナンカデナク
素手デ殺シタカッタ
殺サレル者ヨリモ殺ス者ノ方ガ
何故コンナニ不幸ナノカ
ソノワケヲユックリト囁キナガラ
殺シタカッタ

殺スノナラアアセメテ
泣キナガラ殺シタカッタ


私は、殺されたくない。

私は、彼が、殺されてしまうかもしれない、と
考えることさえ恐ろしい。

 あなたは、名も知らぬ誰かに殺されたいですか?


私は、彼に、
誰も殺して欲しくない。

私は、誰も、殺したくない。

戦争は、殺し合い。
人が人を殺すこと。

 あなたは、名も知らぬ誰かを殺したいですか?


くり返す

くり返すことができる
あやまちをくり返すことができる
くり返すことができる
後悔をくり返すことができる
だがくり返すことはできない
人の命をくり返すことはできない
けれどくり返さねばならない
人の命は大事だとくり返さねばならない
命はくり返せないとくり返さねばならない

私たちはくり返すことができる
他人の死なら
私たちはくり返すことはできない
自分の死を


私は、真の平和というものは、
国境、民族、信仰・・そんな枠組みを越えたところにあると思っています。

例えば、自国を愛することと、
自分の国さえ潤えば、という利己主義は、まったく違う。

自分の民族に誇りを持つことと、他の民族を踏みにじること、の違い。
自分の信仰を大事にすることと、他人が信じるものを冒涜すること、の違い。

こうして言葉にすれば明白なのに、
愚かしくも人間は、未だ同じ過ちをくり返し続けているように思うのです。


果たしてその日、私たちが手にしたはずのものはいったい何だったのだろう。
 
 ・・今年の私は、今日この日、そんなことを考えながら過ごします。
posted by sizuku at 05:31| Comment(4) | TrackBack(2) | 俊太郎world | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月27日

「魂のいちばんおいしいところ」 谷川俊太郎

神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに

何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどもないものに逆らって

そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
――――――――――――――――――――――――――――――
貴方の魂のいちばんおいしいところは、ちょっと苦い。

ピリっと痛む程に、ちょっと辛い。
つんと涙が零れそうに、ちょっと酸っぱい。

 そして ・・ほんのちょっとだけ甘い。

欲しがりの私が、いつも欲しい欲しいと駄々をこねても
なかなか貴方はくれないけれど
ときどき貴方はふと思い出したかのように、それを差し出す。

ぁぁ。ぺろり。 ・・触れた私の舌先は、たちまちに痺れてしまう。

そうすると、
いつだって、さも満足げに貴方はそれをすぐに引っ込め、

私の中には、貴方の魂のとろりとした感触だけが残るのだ。

貴方の魂のいちばんおいしいところは、
まるで、私が好きな貴方のあれとおんなじ。とっても不思議な味がする。
posted by sizuku at 04:42| Comment(4) | TrackBack(0) | 俊太郎world | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月27日

「問いと答」 谷川俊太郎

互いに互いの問いとなり
決して答にはゆきつけぬまま
やがて私たちの言葉は
ひとりひとりの心の井戸で溺れ死ぬ
世界が問いである時
答えるのは私だけ
私が問いである時
答えるのは世界だけ
詩は遂に血にすぎない
寂寥のうちに星々はめぐり続け
対話はただひとり私の中で
いつまでも黙つたまま
どうしようもなく熟していくだろう

――――――――――――――――――――
先週、機会に恵まれて、とうとう憧れの谷川俊太郎さんに逢えました。^^
と言っても・・
特別個人的にというわけでもなく、サイン会という公の場でしたが。

私ね、本を探しているんです。

いつか私も、当たり前にこの世を去るときがくる。
最期のとき、私は、自分にとっての「生涯の1冊」を抱いて、
静かに静かに眠りにつけたらいいなぁ・・と思っているんです。

そんな「1冊」を、もう長いこと探し続けています。

「それは本なの?・・人ではなくて?」

最期のとき、誰かの手を握って逝きたいのではなくて、
それは本なの?と、問われちゃいそうですね。(笑)

ん・・今は本です。そう、人ではなくて、本なのです。

それがいつか「人」になるかもしれないとは思っています。
出来ることなら、誰か・・あなた・・の手を握って、静かに逝きたいなぁ、と。

でもね、今は本。

 ――――――――――

何かに迷ったとき、
何かを考えたいと思うとき、
今のところ私は、谷川俊太郎さんの詩集を開くことがとても多いです。
posted by sizuku at 03:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 俊太郎world | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月28日

谷川俊太郎という詩人

■ これが私の優しさです   谷川俊太郎

 窓の外の若葉について考えていいですか
 そのむこうの青空について考えても?
 永遠と虚無について考えていいですか
 あなたが死にかけているときに

 あなたが死にかけているときに
 あなたについて考えないでいいですか
 あなたから遠く遠くはなれて
 生きている恋人のことを考えても?

 それがあなたを考えることにつながる
 とそう信じてもいいですか
 それほど強くなっていいですか
 あなたのおかげで

――――――――――――――――――――
この詩は、谷川俊太郎自身が、まさに彼の母を亡くそうとしている、
その時に書かれたのだそうです。
 死にゆく母を目の前に、窓の外に目を向ける。
 死にゆく母を目の前に、健康な恋人を想う。

遠い昔、私が初めて出会った彼の詩が、この「これが私の優しさです」で、
その頃の私はまだ、自分の周りに大切な人を失った経験を持たなかったので、
その時には、実感として何かを感じたわけではありませんでしたが、
それでも私はこの詩の持つ不思議な力強さに、とても強く強く惹かれたのでした。

ただ、ひとつだけ。
私の中には、ずっとこの詩に対する疑問がありました。

「これが私の優しさです」
 ・・ん?優しさ? ・・それは誰に対しての? 死にゆく母へ?
 死にゆく母への優しさが「あなたについて考えなくていいですか」なの?
 ・・だとしたら、それはあまりにも自分勝手な話ではないですか?
 傲慢でさえあるのではないですか?

この詩を好きになったからこそ、私はずっとずっとそれを疑問に思い続けていました。

ところが、あるとき、
あることを通して、私にはとうとうその疑問が解けたような気がしたのでした。

 ・・もう1年近く前の話ですが。
 それはこの詩に出会ってから、疑問を感じてから、大袈裟ではなく、
 何十年も経った、晩秋のことでした。


この詩は、私にとっては「許し」の詩でした。

死にゆく者を目の前にしてさえなお、窓の外に目を向けてしまう、人間というもの。
死にゆく者を目の前にしてさえなお、恋人に想いを馳せてしまう、人間というもの。

他人(ひと)の死を目の前にしながらなお、自分の「生」に拘ってしまう人間。

そのエゴイズム。その弱さと強さ。その醜さと輝き。

彼が詩っていたのは、
そんな人間たち、私たち ・・すなわち、私への「許し」。
 ・・私には、ふっとそんな気がしたのです。

もし、私のこんな感覚、解釈を知ったら、彼は苦笑し、こう言うかもしれません。
「人が人など、許せるはずもない。」

そうしたら、私は迷わずこう返します。
「だから。これが、あなたの優しさなのですね。」


勇気を出して、何かに救いを求めれば、それはきっと得られると、
今の私は信じています。
何故なら、

「救い」や「許し」は、その何かにあるのではなく・・
おそらくきっと、初めから自分の中にあるものだと思うからです。


・・ほら。

 わたしは今、自分のことを考えている、想っている。
 けれどそれは、必ずやあなたに繋がっている。

 そうしてわたしは、またあなたを想う。

そしたら、ほら。

 あなたを強く想いながら、ここにはやっぱり、私自身を見つめるわたしが居る。

――――――――――――――――――――
【付記】
この記事は、まったく別の意味合いで、次の2つの記事にTBさせて頂きました。
* はにゃサマ「嘘の吐き方」の「伝わらなくても書かなくちゃいけない」
* thorn_roseさん「甘美で淫靡な泪壷」の「谷川俊太郎の33の質問」
posted by sizuku at 20:32| Comment(18) | TrackBack(2) | 俊太郎world | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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