■ これが私の優しさです 谷川俊太郎
窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで
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この詩は、谷川俊太郎自身が、まさに彼の母を亡くそうとしている、
その時に書かれたのだそうです。
死にゆく母を目の前に、窓の外に目を向ける。
死にゆく母を目の前に、健康な恋人を想う。
遠い昔、私が初めて出会った彼の詩が、この「これが私の優しさです」で、
その頃の私はまだ、自分の周りに大切な人を失った経験を持たなかったので、
その時には、実感として何かを感じたわけではありませんでしたが、
それでも私はこの詩の持つ不思議な力強さに、とても強く強く惹かれたのでした。
ただ、ひとつだけ。
私の中には、ずっとこの詩に対する疑問がありました。
「これが私の優しさです」
・・ん?優しさ? ・・それは誰に対しての? 死にゆく母へ?
死にゆく母への優しさが「あなたについて考えなくていいですか」なの?
・・だとしたら、それはあまりにも自分勝手な話ではないですか?
傲慢でさえあるのではないですか?
この詩を好きになったからこそ、私はずっとずっとそれを疑問に思い続けていました。
ところが、あるとき、
あることを通して、私にはとうとうその疑問が解けたような気がしたのでした。
・・もう1年近く前の話ですが。
それはこの詩に出会ってから、疑問を感じてから、大袈裟ではなく、
何十年も経った、晩秋のことでした。
この詩は、私にとっては「許し」の詩でした。
死にゆく者を目の前にしてさえなお、窓の外に目を向けてしまう、人間というもの。
死にゆく者を目の前にしてさえなお、恋人に想いを馳せてしまう、人間というもの。
他人(ひと)の死を目の前にしながらなお、自分の「生」に拘ってしまう人間。
そのエゴイズム。その弱さと強さ。その醜さと輝き。
彼が詩っていたのは、
そんな人間たち、私たち ・・すなわち、私への「許し」。
・・私には、ふっとそんな気がしたのです。
もし、私のこんな感覚、解釈を知ったら、彼は苦笑し、こう言うかもしれません。
「人が人など、許せるはずもない。」
そうしたら、私は迷わずこう返します。
「だから。これが、あなたの優しさなのですね。」
勇気を出して、何かに救いを求めれば、それはきっと得られると、
今の私は信じています。
何故なら、
「救い」や「許し」は、その何かにあるのではなく・・
おそらくきっと、初めから自分の中にあるものだと思うからです。
・・ほら。
わたしは今、自分のことを考えている、想っている。
けれどそれは、必ずやあなたに繋がっている。
そうしてわたしは、またあなたを想う。
そしたら、ほら。
あなたを強く想いながら、ここにはやっぱり、私自身を見つめるわたしが居る。
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【付記】
この記事は、まったく別の意味合いで、次の2つの記事にTBさせて頂きました。
* はにゃサマ「嘘の吐き方」の
「伝わらなくても書かなくちゃいけない」* thorn_roseさん「甘美で淫靡な泪壷」の
「谷川俊太郎の33の質問」
posted by sizuku at 20:32|
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